【モットーは70億人みんな友達】キノコの本音プロフィール
ども!キノコ(まつもとなおや)です。
今回はブログの運営者であるキノコの詳細プロフィールをお送りいたします。
これを読めば、キノコのことが好きな方はもっと好きになるでしょう。思っていること、伝えたいこと、知ってほしいことすべてを書きました。
「キノコって誰だよ、キノコ嫌いだわ」という方はちょっと気になって眠れないくらいになっているでしょう。
ちなみに相当長いです。
キノコって誰
キノコ=人と違うことをすることに喜びを感じる自分に素直に生き過ぎる関西人。
京都出身、1994年10月5日、京都の寺っ子として生まれ、留学、休学、海外勤務(インターン)や就活相談を学生時代に実施する。2018年4月に就職するが、2ヶ月目に鬱になり、会社を休む。会社を辞め、ブロガーを始めることを決意した男。
- 見た目は
下の中。ハゲで、顔がでかくて、顔でか過ぎて、首と肩に負担がかかりまくり、整体師に驚かれる。首肩こりと頭皮の硬さに相当な自信がある。ハゲで、顔でかいので、常に帽子を被っている。
(最近は健康・美容志向になって、イケメンになってきたよ)
- 性格は
真面目、明るく見せる(外面だけいい)、大胆、気使い、内気、寂しがり、かまってちゃん(人によく言われることです)
- 好きなことは
ひとり旅、はしご酒、お笑い、面白いことを考えること、面白いことをすること
- あと
友達は多いが、親友がいない。女友達はいるが、彼女はずっといない。フランス人ウケはいい。多分国際結婚する。
そういうやつです。
キノコの生い立ち
笑いの根底が作られた小中学時代
TV子でお笑いばかりみていました。あと鮮明に覚えているのは小学校の6年間365日無遅刻無欠席で半袖半ズボン!!!こういう人いましたよね。クラスに一人。
皆がサッカーしている時に、僕はタイヤコーナーの隅でそれをジッと見つめているような子でした。不思議な子で、よく分からないと言われていました。
あとはクラスのいじめられている子や目立っていない子とよく遊んでいました。
人と違うことをしたいという感情からの行動なのかなと思います。
4つ上のお兄ちゃんが「笑いは世界を救う」という作文(?)を書いてそれが自分の中にすごく刺さったのを覚えています。その頃から、ずっとお笑い芸人になると言っていました。図工でも皆がスポーツ選手や花屋などを作っているのに、僕はマイクの前で一人で漫談している作品を作っていましたね。笑
(図工の時間に作った将来の夢、お笑い芸人の像)
中学は変なあだ名で呼ばれたり、陰キャと言われていました。ただ徐々に自分を出していく中で、人が笑う瞬間があって、それが気持ちよかった記憶があります。目立つ笑いよりは何かに例えたり、ボソッと言った発言でウケていました。
自分を出したことで、いじめてきた相手も笑ってくれて、自分のことを興味持ってくれて、なおかつ自分も笑いが楽しい。そんな良い循環が出来ていました。中学から徐々に人と交流していきました。
あとメモ魔でした。ちぎった紙やノートの端、無い場合は自分の手に小さい文字で書いていました。時には手の半分が真っ黒になるくらい。
書いていたことは、なりたい姿やしてみたいこと、明日からこうしてみよう、主に自分のコンプレックスに対してのものが多かったと思います。人気になりたい、モテたい、顔小さくしたい、人と話したい、仲良くなるためにはどうしたらいいのか。
ただ書くだけで満足していました。そして毎日書くメモは大体同じことを書いていた記憶があります。書いていた理由はとにかく変わりたかったんだと思います。
それを人に見られるのは本当に嫌で、ずっと隠していました。だから学校のノートを先生や友達に提出するときはいちいちそれを消して別のところに書く写すという行動をしていました。
お風呂も同じで、消えてしまうから、入る前に全部洗面所で書き写していて、よく母からお風呂が遅いと怒られていました。汗とかで消えてしまった時は、ほんとに絶望したこともありました。笑
ホントに人の目線がすごく気になっていた子でした。
人間不信になり、自我芽生えた高校時代
(京都御所の前で)
成績は良かったのにも関わらず、徒歩30秒の皆が行く並みの高校ではなく、自転車で35分のEランクのヤンキーギャルの宝庫の高校になってしまいました。
今覚えば、多種多様な人と出会うきっかけと自分の知らない世界を見せてくれた最高の学校だと思っています。
ただ当時は、友達もいない・こわい学生が沢山いる・低偏差値の学校になったことへの絶望が強かったです。その環境では中学時代に身につき始めた個性は再び消す必要があり、自分の殻にこもり、意見を言わず、人の言うことにも従順に空気を読んで生きる生活が続きました。ほんとしんどかった。
しかし、転機が来ます。あまりにも我慢しすぎて、何度も何度も裏切られ、同学年の9割の人は嫌いになってしまいました。なんかもうアホらしく思ってきた僕はこう思います。
「なんで俺はこんな奴らに気を使って、自分を苦しめているんだ?もう好き勝手にしよう、思ったことを言おう」
それから相手が誰であっても、ズバズバと何でも発言したり、冗談やツッコミしたりするようになりました。すると中学と同じく、意外にも受け入れてくれる人がいて、以前よりも仲間が増えていました。ヤンキーギャルとも普通に話せるようになりました。ここで僕の中で、確信に変わります。
「これが俺の持ち味だし、俺の個性なんじゃないか」と。
それから人付き合いが楽しくなっていきました。
(*書くのが疲れてきました・・・・)
何でもやりました大学時代
(イケメンに選ばれました。自選で)
一言で言うと、何でもやりました。大学時代にやるべきことの起業以外は全てやったんじゃないかというくらいです。サークル、恋、酒、タバコ、バイト、ボランティア、留学、休学、海外インターン、国内インターン、一人海外旅、就活、就活支援団体立ち上げ。
人付き合いがスーパー楽しくなった僕は大学デビューしました。引くほど動きまくり、大学内だけでなく、大学外にも友達を求めにいきました。
特に、留学と海外インターンは僕のターニングポイントになったと思います。これに関しては長くなるので、別のブログで。とにかく知り合いが沢山増えたのです。
しかし、僕の心はいつでも全く満たされず、その環境で自分の心地の良いポジションを見つけると、また違う環境に行くという繰り返しでした。
外面が良く、話をするのが好きなので、皆も寄って来てくれるし、まあまあな関係性だけ作れていました。けれど心を晒したことはほとんどなく、そのせいもあり、本当の意味の友達はいませんでした。(自分で自分のことを理解していなかった、また当時はやりたくても出来ない、どうすれば心の底からの友人になれるのかが分かりませんでした)
元気から一転、鬱になった社会人時代
(ここからは大事なので、より詳細に書いていきます)
長期の国内&海外インターンというほぼ社会人っぽいことをしていたことと、団体を立ち上げをしていたことで、僕の意識は引くほど上がり、社会を舐めてすらいました。
俺には「すべての人が自分らしく生きることができる社会を作る」という既にやりたいことが明確にあり、その為にはまず近い存在の人から自分らしくさせる必要がある。だから社内の人事や社員モチベーション、教育などを通して、社内の人をHAPPYにしたいと思っていました。しかし、結局僕は鬱になり、研修の2ヶ月で休職するという結果になってしまいました。理由をいくつかをピックアップします。
- 自分のことがコントロールできなくなった。分からなくなった。
- 色々合わなかった
1つ目。学生時代、人(の為)に関わることを沢山してきましたが、自分のことは全く無視していました。自分のことも理解していないやつが、何もない自分・友達がいない自分・そして自分ですら理解していない心を癒すための自己満足、いわゆるオナニーをしていたんだと今は思います。(その為に必死になり、変えたいという意志は本当にあった)
自分と向き合うことがほとんどだった研修。同期から意見をもらうこともしばしば。今までほぼ毎日ずっと同じ人といたことがなく、なんなら本音で話すことがなかったので、かなりキツかったです。しかし、日に日に自分の課題が明確になるので、少し嬉しくもありました。
でも色々行動して考えてみたものの、その課題は解決されず、ずっと同じことで指摘をされました。Macのメモに沢山自分のことを振り返り、分析する毎日。
しかし、動けば動くほど、考えれば考えるほど、指摘をもらえばもらうほど、自分のことが分からなくなって、心がボロボロになっていきました。
2つ目。同じ場所に居続けないといけない、人の目を引くほど気にしてしまう、空気を読んでしまう、発言したいのにできない、何にでも疑問を感じてしまう、ミスコミュニケーションなど会社そのものというよりは働き方や自分との考え方の相違がありました。
これらを自分が変えていくという選択肢もありました。むしろ、入社前からそのつもりでした。ただこの環境でずっといることで慣れていくこと、それを変える為に自分の人生を数年間犠牲にするのは考えられない、自分の生き方や今まで大事にしてきたことが無くなってしまう予感すらありました。
(というか文句あるなら変えろというワードそんなに好きじゃない)
最初はあんなに活力に満ち溢れていたのに、どんどんと消耗していく自分。人からも元気が無くなっていると指摘を何度も受けました。言葉数が少なくなり(発するのが怖くなり)、睡眠不足、荒れる食生活、増えるストレス、自分がよく分からないまま、会社(外)に出て、自分を晒すことへの恐さ。
それから会社にも行きたくなくなり、朝が迎えるのがこわくなっていきました。そして、研修もほぼ終わりが近づいていたある日の業務中、突然左耳が聞こえなくなり、めまいで病院に運ばれ、クリニックの先生に鬱と診断されました。
鬱当時に書いたブログ
そして今キノコの現状…
体調的には問題なかったのですが、精神的にボロボロだった自分は、それから1ヶ月間はほぼ誰にも話さず、料理やジム、整体行ったり、本を読んだりと生活習慣を変えながら、自分の心の声と対話する毎日。自分の生き方についても深く色々考えました。
生活習慣を変えたことで、体や心にも変化が出て、自信に繋がっていきました。この生活のおかげで今は色んな分野に興味が持てるようにもなりました。
しかし日によって、情緒がバラバラでまた悩んだりと、心の声は聞けるようになりつつあるけど、結局は自分に対する苛立ちが増えていきました。
そんなこんなで、1ヶ月が過ぎ、気分転換に人と話をしてみようと思い立ちます。心の声を聞いた時に、この人なら話せそうという人に徐々に自分のことを話し始めていきました。
するとスーッと心が安らいでいきました。ずっと自分のことを言えないという重荷(足かせ)がついていたんだなと思います。
またあるキャリアカウンセラーのおかげで、自分の再分析もでき、昔から仲は良かったが、自分の話はせず、結果だけ報告するような関係で、対話をしたことがなく、気まずかった親とも話をすることができました。 すごく心がほっこりして、幸せな感覚になれました。こうやって、今までの友人にもこれから出会う人にも”対話”をしていきたいなあと思います。
(今でさえ、病気を打ち明けられましたが、言えなかった頃は地獄でした。学生時代に就活支援をしていただけに後輩やその他の人にも申し訳ないなという想いも強かったです。)
僕は結局、2ヶ月間研修と2ヶ月間の療養生活を経て、7月31日に会社を辞めました。理由は
- 生き方や考え方を変えたくなかった
- 自分の人生は自分で責任を持ちたい
- やりたいことができた
順に解説(↓)
ぶっちゃけ戻る選択肢もありました。でも自分の人生観や考え方を変えてまで、残ることは自分の心に反することになってしまうと思いました。
勤務中なにもしていないのに、お金が貰え、保険とか年金のことまでやってくれるなど、そんな状態にすごく違和感を感じていました。成果を残したり、認められない限り、自分がしたいことができない。当たり前だと思います。そりゃそうなんですが、そのおんぶに抱っこの関係性と自分でできないもどかしさがあったのです。自分の足で歩んでいきたいと思いました。
やりたいことに関しては下の方で「このブログで伝えたいこと」で話しているので、そちらをどうぞ。
ただこの予想しなかった濃い4ヶ月が過ごせたことは自分にとって、本当に財産です。当時は恨んだり、最悪な期間だと思っていましたが、色々なものが得れたと思っています。そして、前社の方々には本当に感謝しています。(連絡できなかった方、申し訳ありません)
今後はフリーで色々とやっていきたいと思います。メインはこのブログを運営しながら、様々なことを発信していこうと思います。
このブログで伝えたいこと
(気持ちを伝えたいので、敢えて”ですます調”ではありません)
キノコのひとこと
=色んな生き方のバイブル
色んな生き方が認められる世の中であればいいな。特にマイノリティの人のために。
これは自分が鬱になったからこそ思うこと。会社員としての選択肢しか選べないのは本当にしんどかった。本音を伝えたかったし、仲間が欲しかったけど、誰にも言えず苦しんでいた。人の目が気になってこわかった。
生きにくくてしょうがなかった。発信もしたいのに、休んでいる人は大人しくしないといけない空気になっちゃう。また鬱とかだけじゃなくて、LGBTとか引きこもりなどのマイノリティの人達が住みにくく、自分を出しにくい世の中と感じた。
実際に自分が勇気をもって、打ち明けても心のない言葉をもらったり、気持ちをわかってくれない人もいた。(幸いにも僕の周りの人の大半は受け入れてくれました)
だから、僕は色んな人にその存在を知ってほしい、そして理解してほしい。そういう人を思いやること、自分の価値観だけを押し付けちゃいけない。誰もが生きやすく、誰もが自分らしさを発揮できればいいなと。
そして、諦めちゃう人を減らしたい。「会社員という生き方でないといけない」「本心を出したいけど言えない」とか。やってもいないのに諦めるを得ざるを得ない環境もその人も変えたい。
また自分自身がフリーという働き方で成功することで、自分の周りの人に、「こういう生き方もアリなんだよ」と選択肢を持ってもらいたい、勇気を与えたい。会社員が合う人もいれば合わない人もいる。自分は合わなかった。色んな生き方があるんだよって。
だから色んな生き方を示せていけたらと思う。そして、どんどんと実況中継のごとく、とことん発信していく。
まあ僕キノコの人生自体をコンテンツとして楽しんでもらえたらと思う!
ちょっと待って!そもそもブロガーになんでなろうと思ったの?
自分自身は元々発信するのが好きで、目立ちたがり屋気質であり、目指していた芸人も含めて、文章や動画、写真で人の感情を動かしたいという想いが強かったのです。
また休んでいる時に、色んな生き方を探していく中で、ブロガーという仕事を知りました。様々な方を見ていくと、自分の生き方を貫かれている方が多く、また彼らから自分に似た感覚も感じることがありました。
自分の人生を歩みながら、その人生をコンテンツとして、届けられる、また上記のブログへの想いも相待って、「やりたいことコレじゃん」となったのです。
おまけ。キノコの誰でも友達計画ストーリー
暇なので、おまけ書きます。僕には2つモットーがあります。
「70億人みんな友達」「笑いは世界を救う」
この2つは昔から自分の頭の中にあるものです。まあ息継ぎなしで言えるくらいにまとめると、要は
「色んなタイプや境遇の人いるけど、人間としては同じで、それに感情あるんだから、みんなで一緒に笑おうぜ。争いとかなく、一人一人持っている個性は違うんだから、それを皆生かして、自分らしい生き方をしようぜ!そうすれば、面白い世界になる!」
ってことです。ごちゃごちゃ。笑
だから僕はちゃんとした人としての信頼関係無くして、何もできないと思っています。
それは形としては見えにくいけれど、本当に大事なことです。
例えば、ある組織で挨拶を重要視としていて、僕が先輩や代表に挨拶をしたとします。その時に、無視されたりむげに扱われたりすると、「てめえは偉いから俺を無視したのか」って思います。
もう一つ。例えば、友達と飯を食いに行った時。彼がレストランの定員にめちゃぶっきらぼうで、偉そうな態度を取ったとします。僕には何も害はないけれど、その時点で彼がどれだけ良いやつで社会的に貢献している金持ちでも信頼はできません。
このように僕は利害関係者同士であったとしてもそれは嫌いです。金が発生して動いてるかもしれないけど、その前に”ヒト”ですよね〜〜〜あ、ヤダヤダ。
この話全て実話です。これで分かるかもしれませんが、僕ってめっちゃその人の仕草とか顔色とか異常なほどみてしまうんですよね。会社とか役職とかそういうのは興味ナッシング。今目の前にいるその人がどうなんってことが僕にとっては大事なんだなあ。友達、家族のように信頼し合いたいんだなあ。
企業が市場で戦って1位を目指すとか、サークルの中の王者を決めるとか、正直僕は興味ないんだなあ。出せる価値は違うんだから、潰しあわずにお互いに知識とか共有して、盛り上げていきたいんだなあ。だから一企業にだけ属して、愛さないといけないとかそういうの苦手なんだなあ。一個人として色んなものを愛したいんだなあ。
まあ、そんな感じです。
終わりに
どうですか?キノコのこと好きになりました?なってない方はもう一周しましょう。好きになるまで読んでいただければ嬉しいです。
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